独考というのは、「こんなこと考えてんのは自分くらいのもんだろう」という自分だけの境地的なハナ天狗系の自負でつけた題名だったが、よくよく調べもせずに独考なんて言うのもなんだな、と思ってちょっとだけ調べてみた。
調べるといっても「オブジェクト指向 分類学」でググるだけ。
自分なりに象徴的と思われる単語を並べてみた。
jkondoの日記:オブジェクト指向は分類学
http://d.hatena.ne.jp/jkondo/20050530/1117436338
あー、居た。
ちょっと残念。
まあ、こう書かれると分かる人は分かるはずなので、今後これについては思ったことを包み隠さずに書くつもりです。
もう、
独考のほうで挙げた『弁証法の論理 弁証法における体系構成法』のどこにオブジェクト指向的要素があるのかも説明してしまいましょう。
オブジェクト指向についての説明をどこまでしたらいいのか見当がつかないので、ある程度分かっているのを前提として書きます。
オブジェクト指向を「コンピューターを動かすためのプログラミングという技芸」という枠をとっぱらって一つの思考法(パラダイム)として考えたとき、『実体="オブジェクト"』と『オブジェクトの持ちうる特徴を定義するもの="クラス"』の二つが"キモ"になると思っています。
いや、いっその事「汎化こそオブジェクト指向」と言ってしまいましょう。
この『汎化』は、動物をイメージすると分かりやすいかもしれません。
「動物」というクラスと、「ネコ科」というサブクラスに、「ペルシャネコ」「アメリカンショートヘアー」etc..というサブクラスのサブクラス、そして、「隣の家で飼っているペルシャネコのハナコ(4才 メス)」という個体(実体・オブジェクト)。
これで『弁証法における体系構成法』になんでピンと来たのか分かってもらえたでしょうか?
もう少し説明を続けます。
で、今自分が考えているオブジェクト指向の問題というのが、汎化というプロセスについての深い追求の放棄です。
この汎化という手順は重要であるとされながらも、(今まで見てきた限りでは)伝統的な取り決めやプログラマの感性に完全に委ねられています。
これはちょっと問題でしょう。
もう少し議論があってもいいはずです。
というより、今までの議論が表に出てきてもいいはずです。(議論もなされずにSEだかプログラマだかの独断で決まってしまっていたのだとしたら、言語道断問題外の由々しき事態ですが。)
で、ここにメスを入れるヤツはおらんのか?ということを延々と独考していたわけです。
まあ、メスが入らない理由というのも大体見当がついていまして、この部分は深く探れば探るほど哲学的探求になっていってしまうのです。これは怖い(面白い)。
「ネコがネコ科に分類されることの必要性」みたいな事をもっとディープに考えなければならない、と言えば怖さ(面白さ)が少しは伝わるかもしれません。
むろん、これらは哲学者的にも美味しい話題で、色々な偉人が語っているところなのです。
数学界ではラッセルらの数学の体系化があったりしますし、古くはアリストテレスが原理(アルケー)について語ったりしています。
で、そこら辺のことがうまいこと纏まってたのが『弁証法の論理 弁証法における体系構成法』という本だった、というわけです。
(独考もキャラクターショウビズとともに続き物にします。牛歩の1/10^10くらいの速度の更新になるとは思いますが。)