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2006年02月17日(Fri)▲ページの先頭へ
電気用品安全法

http://www.meti.go.jp/policy/consumer/seian/denan/index.htm

http://www8.atwiki.jp/denkianzen/

もう本当にどうしようもない。
嫌な気分だ。
新規参入の障壁がぐんぐんでっかくなっていく。

ものつくり云々はどこへやら、だ。
これじゃ政府のものつくり政策は既存の大企業を支えるために人材育成をサポートしただけに思えてしまうよ。
新しい何かを創る可能性を求めてたわけではないのかな?

あえて頑張ってポジティブに捉えようとすれば、そうだな、トラ技の頑張りどころになるかもなってところか。
ハンドメイド路線の発展につながるかもしれないかも。
これで電子部品の個人売買に圧迫かかるようなら。。。考えないでおこう。

2006年02月09日(Thu)▲ページの先頭へ
世代間格差

人工生命とかロボットとか、小中学生の脳みそをユンユンとたぎらせる話題が大好きなので、たまにそれ関係のサイトをチェックするようにしている。
(人工無能とティエラばっかりで何年たっても進歩が見られないのが国内のこのジャンルの特徴だと思う。ティエラならテラリウムもついでに見といたほうがいいと思うんだけれども)

で、そんなサイトのなかで、プログラム言語についての衝撃的な記述と出会った。


今、この知能系をJAVA言語によるプログラムで作ろうとしているが、
プログラム(アルゴリズム)というのは、つまるところ、
以下の4種類の文で、構成されている。

1)代入文
2)四則演算文 (+、−、×、÷)
3)判断文 ( i f 文)
4)繰り返し文 ( w h i l e 文)

実を言えば、これしかない。


私はこの文章に新世代の基本を感じた。

なんてことだ!
GOTOが!分岐文が!
これじゃマイコンが動かない!

とか、いろいろと説教してやりたい気持ちがわいてくる文章ではあるが、Javaの世界に限っていえば間違った方針とも言いがたい。
ティエラを知りながらマシン語を知らず、Javaのような超高級言語がプログラム言語の基準になるような世代なわけだ。
もしかしたら16進数とか8進数とかも危ういかもしれない。
群論を語ることができるが九九の暗唱がおぼつかない理論中心の数学者のような印象を受けるのだが、これはこれでなかなか否定しづらい物がある。

素っ頓狂な基礎教育(特にマシン語のようなプログラム言語の基礎をなす部分は工業科を持つ高校以外ではまったく取り扱わないし(情報科が扱わないのはどういう了見だ?)、さらに言えば、その授業がしっかりしたものである保障はどこにもない)の上にネットフル活用の大学生活を乗っけるとこんな感じになるのかな、とか思う。

2006年02月07日(Tue)▲ページの先頭へ
wiki症候群

自分はこのブログのほかにwikiサイト2つくらいに関わっている。
wikiというのは云々、という話はここではしないが、wikiを使っていたらメモ書きするときに箇条書きする癖が付きかけてしまった。
危ういところでメモ書きの箇条書き傾向に自分で気づくことができたので、しばらくwikiを自重することにした。
数ヶ月経過した現在、メモ書きは高校受験から愛用(?)している図面中心のマインドマップ風の書き方に戻っている。

お勉強程度の学習ならまだ影響も少ないが、サイト更新のように断続的に利用するツールでは心理学用語の方の『学習』を知らず知らずのうちに行ってしまうのである。
心理学用語の学習がなんだかよくわからないなら、『慣れ』とか『修行し続けて身に染み付いた技術』とか『眼を閉じても弾けるくらいに弾きなれた曲』とかそういう感じを思ってもらいたい。
つまり、自分はwikiサイトの更新という訓練を繰り返し行ったため、あるテーマを考えるときに何かしら箇条書きで列挙する癖が付いてしまった、ということである。(もちろん箇条書きの頭は中黒(・)ではなくてマイナス記号(-)だ。)
蛇足になるが、これはwikiサイト上で表現する言語と普段思考する言語が同様であることが原因のひとつにあるんじゃないかと思っている(プログラム言語の書き癖が料理のメモ書きに反映されたことはない)。

これはパワーポイントなど他のツールでもあることのようだ。
パワーポイントで見た目のいいプレゼン資料を作ることが仕事の中心になってしまう「パワーポイント症候群」などという言葉があるし、パワーポイントの多用に懐疑的なコラムもある。

-Absolute Powerpoint Can a software package edit our thoughts(原文)
-PowerPoint 絶対主義 市販ソフトウェアは私たちの思考を変えるか?(邦訳)

上記記事を見る限りでは、パワーポイントの場合は仕事などのプレゼンでよく利用されるというwikiではまだ見られない事情があるし、それに伴って(書き方が結論指向になり、結論を導く要素のみを列挙するようになって副次的な要素を無視しがちになるなどの)より深く思考法に関わりうる傾向も持っているようである。

いまいちまとめ辛くなってしまったが、ツールによる影響というのはツールが有用であればあるほど(触れる機会が多くなって学習量も自然と増えるので)色濃くなってくるものなのだから、根本的に新しいものを作ろうとするときはそういうのも考えてみて損はないかもしれないよね、ということでシメることにする。

2006年01月19日(Thu)▲ページの先頭へ
リニアなエレベータ

東芝エレベータが「ひも」の代わりに電磁力を使うエレベータが開発したらしい。
未来っぽくてかっこいいな。

『通常のエレベーターは、モーターの動力とかご(*)を吊っているロープを組み合わせ、昇降路内に設置されたガイドレールに沿って走行しています。そして、かごとガイドレールの接地面には、ローラーガイドと呼ばれる車輪がついており、エレベーターの走行を支える案内装置の役割を担っています。
 この度、当社が世界で初めて開発した「磁気浮上制御」を活用したエレベーターの案内装置は、永久磁石と電磁石で構成された複合形磁石ユニットにより、エレベーターのかごとガイドレールを接触させることなくエレベーターを走行させるため、レールの加工精度や据付状態に影響を受けないことから、従来のシステムよりも乗り心地を向上させ、快適な走行が可能となります。また、滑らかな走行により、騒音の抑制を実現しています。この技術は、動力方法は異なるものの磁気浮上という技術を活用する点では、リニアモーターカーと類似した技術です。』

http://www2.toshiba-elevator.co.jp/elv/pressrelease/20060117.jsp

"リニアなエレベータ"...の続きを読む


2006年01月12日(Thu)▲ページの先頭へ
SWEBOK

SWEBOK(SoftWare Engineering Body Of Knowledge)。

ソフトウェアエンジニアリングという学問がどんなモンだか定義しよう、という話らしい。
IEEEがいろいろとやってるみたいだ。
最近はこういうのを見ると、「もしかしたらプログラマは世界的で飽和していて、餌と酸素不足になってるんじゃないか」とか、「プログラマの出した排泄物を栄養源にする新しいプログラマ(のようなもの)が適者生存で頭ひとつ飛び出し始めてるんじゃないか」とか、「プログラマの首根っこをつかむような何がしかをつかんだら大もうけできるとか考えてるんじゃないか」なんて考えるようになってきた。

疲れてるなぁ。
こういう政治に関わる話はabortしてもっと別なことを追っかけるようにしよう。

@see
Guide to the SWEBOK: http://www.swebok.org/index.html

ソフトウエアエンジニアリング事始(2) SWEBOKはバイブルだ: http://allabout.co.jp/career/swengineer/closeup/CU20021124A/index.htm

2006年01月05日(Thu)▲ページの先頭へ
ディプロマシムシティ

ル・モンド・ディプロマティークの『解体された都市空間』という記事が良くできていて感動した。

ル・モンド・ディプロマティーク: http://www.diplo.jp/index.html
解体された都市空間: http://www.diplo.jp/articles01/0102-4.html




ディプロマシー: http://ejf.cside.ne.jp/review/diplomacy.html
シムシティ: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A0%E3%82%B7%E3%83%86%E3%82%A3


----

06/1/5 ディプロマシーとシムシティのリンク間違いを訂正

2006年01月01日(Sun)▲ページの先頭へ
The Art of Computer Programmingを買っちゃった

The Art of Computer Programming3巻揃いを買った。
自分への今年一年がんばりましたプライズのつもり。

しかし、まあ年末年始というのにアマゾンは仕事が速い。
29日に注文して31日には届いてしまった。
6日くらいを覚悟してたのに。
これはうれしい誤算。

ざっと見てやっぱり(Knuthが「これをバイブルと呼ぶなら旧約聖書と呼べ」と言ったとかいう話があるだけあって)古臭い。
具体的には、テープの話なんか普通に出てきちゃうくらいといえば分かってもらえるはず。
しかも、テープって言っても、磁気テープじゃなくて穿孔テープのほう。
少なくともこの本は(結局のところ自分がコンピュータに何を命令しているのか良くわからない)Javaのような言語なぞ想定すらしていない(くらい古い)。
硬派だ。

とりあえず"Flow chart for reading this set of books"が気が利いていて面白かった。

あけましておめでとうございます

今年もノンベンダラリとしたペースでやっていくつもりです。
見知った人も、見知らぬ人も、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

2005年12月29日(Thu)▲ページの先頭へ
计算机程序设计艺术が欲しい

计算机程序设计艺术(Ji Suan Ji Cheng Xu She Ji Yi Shu)。

http://www.ndip.cn/computer/taocp/

Knuth大先生のThe Art of Computer Programingの中国語版なわけだが、ちゃんとVolume3まで翻訳されていることと、公式サイトにMIX的模擬機が用意されていることなどから、日本語版(サイエンス社の『基本算法』とASCIIの『The Art of Computer Programming 日本語版』)よりマシだろうと判断した。
しかも1冊98元という冗談みたいな値段がすごい。

本当に勘違いかと思って調べてみたら
http://www.china-pub.com/computers/common/info.asp?id=7544
こんなサイトでもやっぱり98元なわけで、冗談じゃなく1冊98元みたいだ。
英文版だとさらに安い。

中国情報局 為替計算機(http://searchina.ne.jp/exchange/)によれば98元=1430.45円らしいので、『基本算法』1冊約6000円、『The Art of Computer Programming 日本語版』1冊約10000円に比べるまでもなく圧倒的に安い。
ちなみに、アマゾンで英語版の値段は3冊揃いで約22000円。

これはもう、内容から紙の質まで気になってしょうがない。
いつか中国に行くことがあったら探してみたいと思う。

2005年11月27日(Sun)▲ページの先頭へ
電網電影

電通と民放5社、ネットで映像配信へ: http://www.asahi.com/business/update/1127/001.html

だそうだ。
ついでにネットTVを大量に紹介しているサイトも挙げておこう。

イカす!ブロードバンド天国: http://ikaten.squidtv.net/

日本の民放5社はネットの世界でこれら有象無象の者どもと戦わねばならないという事になる。
また、国内の外国語教育が充実していけば、各国ネットテレビとの日本人視聴者の奪い合いが熾烈なものになっていくかもしれない。
外国居住の日本人をターゲットにすえて、外国からもスムーズに集金することができるような広告のあり方を模索することにもなるかもしれない。

テレビからネットへメインユーザーがシフトするにつれてこれらの問題は顕在化するはずだが、それが何時になるのかはちょっと見当がつきにくい。
配信と同時にすさまじいサーバリクエストが来るかもしれないし、いつまでたっても閑古鳥かもしれない。


ちなみに、こんなのもある。

政府インターネットテレビ: http://nettv.gov-online.go.jp/

2005年11月26日(Sat)▲ページの先頭へ
思想と実装の実像

プログラムの世界にはオブジェクト指向というのがある。

SIMULAという言語に端を発して、SmalltalkとC++でブラッシュアップされ、今やほぼすべての言語の処理系に実装が搭載されているような状況だ。

当初、SIMULATでは『プロセス』と『アクション』という概念を用いていたようだ。
プログラミングでプロセスを定義し、プログラムの実行中にアクションが生成されるというような感じになる。
SIMULA67になって、さらに概念的に拡張してプロセスは『クラス』に、『アクション』は『オブジェクト』に名前を変える。

これら(プロセスとクラス、アクションとオブジェクト)は、並列処理(今で言うところのマルチスレッド)をシミュレーションするために用意されたものだった。
つまり、イメージ的には「オブジェクトが(並列で)個々に動き回りつつ、適時オブジェクト同士でメッセージを伝え合うことでプログラムというシステムが動く」という感じになる。

これは、シミュレーションを指向する言語(SIMULAはSimlation Languageの略である)としては至極真っ当な方針であるといえる。
すべてのオブジェクトが"同時に"動くのであるから、タートル2万匹の50メートル徒競走だってコーディングは楽なはずだ。


その後、この概念(オブジェクト指向)はアラン・ケイとストラウストラップに目をつけられた。
そして、アラン・ケイによってSmalltalk言語が、ストラウストラップによってC++言語がつくられる事となり、これらの言語は広く普及する。
これは各種プログラム言語がオブジェクト指向へ変化する呼び水となり、(言語設計的に本来不向きな言語であったとしても)多数の言語がオブジェクト指向へと方向を変えていった。


しかし、SIMULAから他の言語へと派生するうちになぜかすっぽりと忘れ去られてしまった部分がある。
オブジェクトの並列処理だ。

基本的に現状のほとんど全ての言語(の処理系)はオブジェクトを並列に処理しない。(ほとんど全ての、というのはもしかしたらあるかもしれない可能性に賭けて書いたのであって、デフォルトでオブジェクトを並列に処理する言語を知っているわけではない。たとえば、Javaでオブジェクトを並列に動かしたければスレッドとして定義する必要がある。)

オブジェクトが独立して動くというのはきわめて魅力的なことだ。
今までほとんど追及されてこなかった分、可能性も大いに期待できるだろう。
(プログラムを分散・並列処理するという方向では多くの研究がなされているが、オブジェクトが並列に動作するような研究はあまりメジャーではない)

この方向の究極は1つのオブジェクトに対して計算機を1つ割り当てるというレベルである。
P2P、SOAPなど、それっぽい技術が徐々に開拓されつつある今、(商売を抜きにして純粋に技術として探求して楽しいのは)たぶんこっちの方向だと思う。

2005年11月07日(Mon)▲ページの先頭へ
getChild

CIO MAGAZINE: One in Ten IT Departments Dead by 2011
http://www.cio.com/blog_view.html?CID=13437

2011年までにIT『部門』の1/10が無くなるだろうという予想。
どんどん海外へのアウトソーシングが進んで、それでも残った経営陣にとってコアな部分は(技術屋ばかりのIT部門ではなくて)それなりの部門に移管・合併・吸収されるだろう…というようなストーリー(だと思う。そんなに自信があるわけじゃないので、興味があったら上記サイトへどうぞ)。

消えゆくIT部門とは?
それでも残るIT部門とは?
いろいろ仕事はあるけれど、はたして何が残るのか。

サーバー管理なんか微妙なところだろうな。

2005年10月31日(Mon)▲ページの先頭へ
紅茶

今、コンピューティングを牽引してるのはJava言語だと思う。
Cではないし、C++でもない、Objective-Cでもなく、ObjectPascalでも、Delphiでもなく、Perl、Ruby、Python、Oak、Squeak、etc..どれでもない。
間違いなくJavaだ。きっと。
(あまり追ってないからわからないけど、もしかしたら.netも絡んでるのかもしれない予感もする)

この感じだと、日本の次の次くらいの世代のプログラマは、Javaな人間なんだろうな。
Cなんか『Linuxを記述した言語』ぐらいの認識しかないような、ファイルなんか流れに乗せるモンでしかないような、そんな感じの。
Javaのバーチャルマシンしか知らなかったりとかして、マシン語といえばそれ、みたいになったりとか。
きっとそのうち「普通にプロのプログラマになりました」という人はそういう人になっていくんじゃないかな。
(この予測は絶対に外れると思うけど)

あと、今後を見る上で大事なのはMicroSoftの動向。
次のOSで開発環境がどうなるのか、あるいは、次のOS自体(のシェアとか)がどうなっていくのか、MediaPlayerのガイドにP2Pなリンクが追加される日はやってくるのか、などなど、なんだかんだいって見逃せない。

2005年10月27日(Thu)▲ページの先頭へ
エポケーできない機械

哲学系の言葉でエポケーというのがある。
「判断するのを保留する」とか「判断するのを止める」という意味。

http://blog.melma.com/keyword/%A5%A8%A5%DD%A5%B1%A1%BC
http://www.nihongokyoshi.co.jp/manbou_data/a3330001.html

なんかに説明があるので参考にするといいかもしれない。

で、最近のプリンターやらデジカメなんかはエポケーすることを放棄している。
たとえば、『顔認識AF』とか『顔認識 プリンタ』なんかをキーワードにしてGoogleで検索するとそんな感じの商品がばーっと出てくる。
最近盛んにCMを打っているエプソンのプリンタなどは「顔を認識して自動で色調を補正します」というような感じで売り込んでいた。

色の話になるとウィトゲンシュタイン先生のようなドツボにはまる恐れもあるのでなんともいえないのだが、少なくとも、このエプソンのプリンタは元々デジカメに記録されていたデータを改竄して出力していることは確かだろうと思う。

こうなってくると、写真が記録では無くなってくるよな、とか思う。


2005年10月21日(Fri)▲ページの先頭へ
そばとスパゲッティー

ちょっと前まで通っていた立ち食い蕎麦屋で、店主のおっちゃんとテキトウな事をよく喋ったりしていた。
格好よく言えば常連さんだったのだ。

その蕎麦屋、えらく個性的だった。

注文をするんではなくて、食券を買うタイプだったのだが、それが随分とテキトウで、『たぬき蕎麦』のボタンを押すと「わかめうどん」という食券が出てきたりする。
でもって、おっちゃんに「食券違うの出てきたんだけど」といって食券を渡すと、「いいのいいの、わかってっから」と言われるのだった。

うーん。

で、「ごめんね、おどろかしちゃって、これサービスしとくから」なんつって、たぬき蕎麦にから揚げを1個入れてくれたりしちゃうのであった。

う〜ん。

食券の印字パターンを変えるためには内蔵されたROMの内容を変える必要がある。
つまり、新しいメニューを作るたびにROMの書き換えが必要なわけだ。
いちいち費用もかかるし、最近の券売機もみんなこうなんだろうか、ユーザーの事考えてないなぁ。

これがはじめてその店でそばを食べたときの感想。
甘かった。

しばらく通っておっちゃんと話をするようになった頃、券売機について話してみた。
「不便じゃないの?」とかね。
でもやっぱりおっちゃんは「いいのいいの、いちいち(メーカーに)電話するの面倒くさいしさ」と言う。
その頃はまだおっちゃんを甘く見ていて、ケチってるか、本当に面倒くさいのか、売り上げがないのか、とか思っていた。

さらに通うようになって、券売機の巧妙な仕掛けが分かってきた。

つまり、「券売機の前で首をひねっている客=ご新規さん」であり、新規顧客開拓モードのスイッチになっている、ということだ。

おっちゃんの言うとおり、不便極まりない券売機は「それでよかった」のだ。

思えば実に巧妙なワナである。
これが、『たぬきそば→食券:T098S』とかだったらあまり不思議ではない。
「T=TanukiでS=Sobaの098番目の注文かな?」とか思ったり、あるいは気にも留めなかったりするだろう。
『たぬきそば→食券:わかめうどん』だから皆が皆疑問に思うのである。(外人すら首をひねっていたほどだ)
そして、疑問に思う人間は皆ご新規さんなのだ。

さらに言えば、あまり流行ってなさそうな外観やテキトウに見える接客など、全てにおいてコンセプトのようなものが一貫しているのである。
それはもう、客に「たぬきがわかめに化けてもしょうがないな」と思わせるのに十分なものがあった。
駅中の変に小洒落たスープ屋なんかでこの券売機を使っていたら客が来なくなるかもしれない。
逆に、この店でしっかりした券売機を使っていたら客が来なくなるかもしれなかった。


ある日、蕎麦を食べた帰りにふと思ったのである。
これは組み込み系の商売だな、と。(もっと言えば、ハード系かもしれない)

たとえば、Webアプリでこんな感じのサービスを提供したとする。
もちろん、最終的には思いどおりの結果が出力される。
だが、ユーザーはどう思うだろうか。
nanigasi.htmlの「たぬきそば」チェックボックスにチェックを入れて「Submit」ボタンをクリックすると「http://〜/tyumon.php?wakameudon」にアクセスしたりするのだ。
でもって表示はしっかりと「ご注文は『たぬきそば』でよろしいですね?」とか出たりする。

もっと言えば、たとえばネットショップがこんな感じだったらどうだろう。
あまり信用されないんじゃなかろうか。

なんというか、そのほかにも全体的に組み込みっぽい雰囲気があったのだが、言葉にしようがないので、少なくともWeb系ではないよね、くらいで止めておく。
なんとなく、白黒赤黄青の配線がグチャグチャとスパゲッティーどころじゃない事になっているマイコンの姿が目に浮かんだのだ。(あるいは、白黒写真のENIACとか)
煩雑でどうしようもなく馬鹿馬鹿しく見えるけれども、愛嬌があって、とてもタフな感じがする。

//最近の組み込みは緑一色のキレイな基板の上で、また少し違った世界になっている。
//組み込みというのもちょっと不適切かな、とか、今思った。

2005年09月29日(Thu)▲ページの先頭へ
OpenLaszlo

OpenLasslo

http://www.openlaszlo.org/
http://laszlo.jp/

なんにせよ、Flashは堅い。

2005年09月20日(Tue)▲ページの先頭へ
白いキャンパスの上で

(1)http://ameblo.jp/sphinx/entry-10003153919.html
(2)http://blog.livedoor.jp/yahata127/archives/29901105.html
(3)http://takaoyoshiki.cocolog-nifty.com/edojidai/2005/08/post_ae61.html

当該サイト:http://www.happycampus.jp/
運営会社:http://www.happycampus.jp/intro/j_intro_01.htm

ざっとみて、論文もレポートも面白味のないヤツばっかり。
もっと危ない橋渡ろうよ。
錯乱直前の着想を論理の力で知識体系の中に無理矢理ねじ込むような、ごっついのが欲しいね。
そこまで行かなくても、ちょっとでいいから、論理と直感の狭間で胃に小穴を開けるくらいのことはしてもらいたい。
いや、せめて教員と勝負してもらいたい。

論文の中に、「…(前略)…株式会社**から与えられたテーマのもと…(以下略)…」というのがあった。
労働レポートのようなもんなんて、見せられたって困るだけだろうに。
悲しいね。(関係ないけど、フォーククルセイダースの『悲しくてやりきれない』は漢詩的だと思った。今。)

ところで、この運営会社のアドレスはどうかと思う。
せめて、別ドメインにするくらいのことはしておいてもらいたいな。

2005年09月16日(Fri)▲ページの先頭へ


選挙も終わって自民党圧勝、おめでとさん、4年続くかどうか分からないけど。
民意を反映、なんて言うけれど、民が解散総選挙をさせたわけでもないしね。
ため息の多い職場でゲンナリしていた今日は花の金曜日。
週末まであと少し。

選挙前後のブログで選挙話のエントリがわらわらと現れた。
現れたのはいいけれど、なぜだか皆さん大上段に御構えになられがちなようで、下卑た政談が出てこないような気がする。
見た感じ、政党レベル・国レベルの御政談をなされているようで、そんなエントリを自分はTVのコメンテーターのようなふわふわした無責任なコメントアウトのように感じてしまうのだ。

自分の田舎は少子高齢過疎で自殺率も高いというある意味日本の有様を象徴するような土地なわけだが、そんな田舎では某党が「うちの党員に投票を、でも比例は自民で」とかいうお触れを出したとか出さないとかいう(噂)話があった。

なぜか知らないが、あまりネットでこういう話が出てこない。
ネットという公共の場に供するに値する話ではないと思うのかもしれないが、自分としてはこういう話こそネットで、と思うのだ。

2005年09月12日(Mon)▲ページの先頭へ
キャラクター法人ができたのか

この文章の主要な論点はキャラクターとその著作権の関係である。
したがって、以下の文章において各作品についての感想や意見は一切書かない。
法的な判断や善悪の判断も下さないし、それについて意見も感想も書かない。

とある音楽会社が、とあるネットの掲示板で良く使われるアスキーアートのキャラクターをパクった上に商標登録して著作権を主張しているとかそうじゃないとかいう騒動がある。

参考:
のまネコのまとめwiki

そして

INTERNET Watch:「恋のマイアヒ」の“のまネコ”はモナーにインスパイア〜エイベックス

によれば、「有限会社ゼンについては、のまネコを商標化するためにエイベックスが急遽設立した企業なのではないかとの憶測も流れるなど」だそうだ。

この憶測が本当なら、日本にもキャラクターを管理するためだけに存在する「キャラクター法人」ができていたことになる。

自分が書いたことでこうなったとは到底思えないが、なんとなく自分が考えていることが裏付けられたような気がする。

2005年09月07日(Wed)▲ページの先頭へ
拡がる壁とパンとサーカス

万里の長城は、国を分け隔てる壁だった。
古代中華の人々は壁の内側で何を思っていたのだろうか。
壁の外で匈奴たちは何を思ったのだろうか。

そんなことを思ってすごした今日は水曜、週の真ん中。

建設用語の意味ネットワーク辞書の構築と,モデリング作業への応用

できたらいいね、と言う話。
知識ベース構築がんばってください。
建築もいいですが、プログラミングとか、せめてプログラム言語のリファレンスとか、そっちのほうもよろしく。
対象領域の調査とか、恐ろしげな言葉が書いてありますが、見なかったことにしておきます。

ウィキペディア

2005年08月22日(Mon)▲ページの先頭へ


選挙。

共産党は「確かな野党」というスローガンを掲げた。
共産党自体の評価はさて置いて、このスローガンはなかなか良いとこを突いてきたと思う。
ある意味悲しいスローガンではあるが、確かな野党ができないほどにこの国の政治家の意思はある程度統一されているのだ、というメッセージが暗に含まれている気がするのは気のせいか。

テレビに出てくる刺客とか呼ばれている人を見ていると、郵政改革とやらで一儲けできそうな立場の人が多い気がした。根拠は無いけど。

小泉政権ができたばかりの頃は「改革=既得権益をぶち壊す」みたいなイメージを持っていたんだけど、最近はどうも「改革≒新旧メンバーの入れ替え」なんじゃないかと思い始めている。
そう思ってみれば、意見統一もできないような党の内部抗争で意見が通りにくかったというだけで国のシステムを動かされたわけだから、ずいぶんとぶっ飛んだ話ではある。

小泉先生の戦略的に優れたところは、郵政改革否定派の一部を党から離れさせることで郵政改革否定派全体があたかも少数派であるかのように見せた所だ。
そういう意味で、諸新党は見事に策略にはまってしまったかのように見える。
党となることで具体的な数字を出してしまったからだ。
自民党の内部にも少なからず郵政改革否定派は居るだろう。
居るだろうが、自民党から出ない限りはカウントされないような雰囲気もあるし、不安定な現状を鑑みてわざわざ脱党するほどでもないのかもしれない。
どうも小泉先生は集団を活用する術に長けているようだ。

ちなみに、結党した理由としてテレビなどでよく挙げられる政党交付金については
法庫:政党交付金の交付を受ける政党等に対する法人格の付与に関する法律:http://www.houko.com/00/01/H06/106.HTM
などを参照するといいかもしれない。

ダーウィン曰く「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるでもない。唯一生き残るのは、変化できる者である」のだそうだが、自民党は今変化しているのかもしれない。

バンド仲間募集

今となっては昔の話になるが(というと自分を知る人に怒られてしまうかもしれないが)、学校の部活動でロボットを作っていたことがある。
自分が変なロボットばかり作ろうとしていたせいか、クセが強くなかなか面白い仲間と出会えたきっかけにもなったし、先生という大人との付き合い方も色々と覚えさせてもらった。
先生が思い描くロボットと違うロボットの企画を通すのはなかなかどうして難しいものなのだ。
なんにせよ、相当本気で取り組んでいたし、自分のコンピューターや電気に関する知識の基礎基本が全て詰まった思い出ぶかい時期である。

で、今でも時折思い出したようにロボットを設計することがある。
ストレスをコンデンサに溜め込む回路を組み込んだ、「恐怖心を持つ小型ロボット」だとか、古風な歯車機構を利用した「バルサ製の虫型軽量ロボット」とか、誰も考えないような非実用的なロボットばかりがノートにたまっていく。
一応、自分が考えてきたロボットには全て「コンピュータと現実とのインターフェースとしての人間の知覚・悟性」という一貫したテーマがないわけではないのだが、大半のロボットはノート以外に存在しないため、あまり偉そうなことは書かないようにしておく。

自分としてはなかなか気に入っているアイディアではあるので、作らずに放っておくのも忍びない。
が、他人の仕事の手伝いまですることになってしまった今となってはたった一つのロボットを作ることすらままならなくなってしまった。
なんとか山里にでも隠遁して「自称ロボット作家」にでもなってチマチマとロボットを作っていきたいものだが、預金残高はそれを許してくれなさそうだ。
あとは、何とか短時間のタスクに分断して、現状をうまくやりくりするしかないが、これはなかなか難しい。

このような事を暇な時間に考えていたら、一つ気づくことがあった。
「ロボット作りを一人でこなすのは難しい」ということだ。
機械加工なんて借家でできるわけも無いし、プロに頼むとなるといくらかかるか分かったもんじゃない。
電子回路からプログラミング、機械加工、設計、プランニング、となるといくら考えても一人でこなすのは至難の業だろうと思う。(我ながら過去の自分を褒めてやりたくなってきた)
当然それなら同好会なりでチームを作るか、と思うものの、その手立てが無い。
大会などに出ているチームの大半が学校や職場のような閉じたコネクションで成り立っている現状を見ても、ロボット製作において同好の士を得ることは至難の業であることが容易に見て取れる。

ここに来て、バンドの世界でよく見かける「バンド仲間募集」が素晴らしいシステムのように思えてきた。
ロボコンマガジンのようなロボット製作を煽る雑誌はロボットのトピックスや入門記事を書く前に「バンド仲間募集」のようなコーナーを作ってみてもいいんじゃないか、とさえ思っている。

ロボットを一人で作ろうとする人間が増えれば増えるほど、彼らが消費者から消費者層へと美味しく育っていくことは理解できるが、それ以上に、これから先人材不足が予測できる組み込み業界、加工業界に向けて人材育成するというのも大切だろうと自分は思う。
それに、ロボット製作を金持ちのお遊びにしてしまっては、限りないはずの「ロボットの可能性」の芽を摘むことにもなるだろう。
ロボットは組み立てロボットが作るのではなく、人間が創造するものなのだ。

2005年08月09日(Tue)▲ページの先頭へ
自立的プログラミング

 XPという、プログラミング界の方法論がある。
プログラミングを含んだソフトウェアの世界は昔から「いかに失敗を避けて開発するか」に熱い視線が注がれていた。
様々な工夫の元で構造化手法などの「失敗しづらく保守しやすい」開発手法が出たり消えたりしながら、少しずつ発展して今にいたっている。
 最近はさらに「素早く開発」などという要求も出てきており、そういったニーズに合わせた開発方法論の開拓に力が注がれているようだ。

 つい先ごろまではXPと双璧をなす有名どころのUMLを主に見てきたのだが、XPにも興味があるので、少しずつ覗き見るようにしている。

 かいつまんで見ただけなので、間違いもあるかもしれないが、XPには『小さなリリース』や『イテレーション』などの細かな「作り方」の規定があるようだ。
さらに、売り文句としては『やりがいのある職場』などといった魅力的な文句が連なっている。
詳しくは「エクストリームプログラミング」とでもタイプして検索してもらいたい。

 とりあえずの感想としては、これは要するにプログラマの自治活動だな、ということ。
イテレーションを組んで小さなリリースを繰り返し、良質のソフトを生産したところで、かならずしも「やりがいのある職場」がついてくるものでもない。
重要なのは今のプロセスを変えることであり、現状を自力で変革することにあるのだろう。
もちろん現状を変化させようとすれば、問答無用で責任がともなってくる。
それに答えるための方法論がXPなのではないか?

 方法論はあくまで方法論であって、精神は方法論には記載されない。
とか書くとプログラマに嫌われそうだけど、そう思う。

2005年08月08日(Mon)▲ページの先頭へ
開かれた世界の重たい扉

 世をすねたような事ばかり書くのも疲れるので、題名はともかく今回はちょっと毛色を変えようかと思っている。

 オープンソースの世界はLinux文化圏のみの世界とちょっと前まで思っていたが、最近はOSの壁を越え、アーキテクチャの壁を越え、CPUの壁を越えてマイコンとパソコンの壁まで越えているようだ。
少し検索するだけでも、案外と沢山のプロジェクトが存在することが分かるはずだ。
(最近は皆様SEOSEO言うのでGoogleなどでは良い情報が引っかかりにくくなってきたが、まだ何とか検索できないわけではない)

 「オープンソースでフリー」という流れはマイクロソフトという一企業に依存しないと言う意味では経済的に健全だと思う。(大半のプロジェクトがGPLに依存している、というのが問題になりつつあるけれど)
主に国内での話になるが、オープンソースを使ったシステムやソフトウェアを提供しつつ情報的な囲い込みをかけることで既得権的な部分を確保しようとしているような、(ちょっとずる賢い)方法が大小ひっくるめて主流化しつつあるような気がするところが少し気にはかかる。
(個人的には、ソフトとソースだけをオープンにするのではなく、付随する知識と情報もオープンにした方がいいと思う。2007年問題を再発させてはならない。)
が、大局的に見れば現状は遊び甲斐のあるいい時期になっていると思う。
テレホーダイの頃は子供の遊び場的雰囲気のあった日本のインターネットは、少し成長して(正邪ともに)成熟しつつあるのかもしれない。

ちなみに、「オープンソース」という言葉については

「オープンソースの定義」について:http://www.oreilly.co.jp/BOOK/osp/OpenSource_Web_Version/chapter12/chapter12.html

みんなの考えたオープンソース:http://ukai.org/wiliki/wiliki.cgi?%A4%DF%A4%F3%A4%CA%A4%CE%B9%CD%A4%A8%A4%BF%A5%AA%A1%BC%A5%D7%A5%F3%A5%BD%A1%BC%A5%B9&l=jp

などを参考にしてもらいたい。
とりあえずこの2つを見るだけでも、正邪ともに、と書いた理由が分かってもらえるだろうと思う。
色々な思惑が絡まりあって面倒くさそうな雰囲気がプンプンしているあたり、かなり好ましくない。

 で、遊び甲斐があるとはいえ、今のところ当の遊び場にたどり着くまでの確たる道のりが確保されているわけではないことも問題だと思っている。
オープンソースのプロジェクトは数多く存在するものの、各個がいいCMを打っているわけでもなく、アイディア的に優れたいいプロジェクトが埋まっていたり、只のパクリのようなプロジェクトが王者の風格を漂わせていたりと、なかなかスッキリしていないのだ。
 それに、英語率の高さもそのまま壁の高さになっている。
メニューが英語というだけで利用を控えたがるくらいなのだから、ドキュメントからなにから全て英語となると尻込みするのも当然だ。
 とはいえ、今はフリーのテキスト英日翻訳も少なくないし、思っているほど理解が困難なわけではない。
プロジェクトの評価も、勘を磨けばなんとかなる。
一番の問題は「出会い」の段階が英語になりがちだ、ということなのだ。

 というわけで、「オープンソース」を日本語で探せるいいサイトが無いか、と思って見つけたのがこのサイト。

オープン・アレキサンドリア:http://www.openalexandria.com/

 広範囲に大量のオープンソースソフトウェアが紹介されていて、紹介文もちゃんと日本語だし、なかなか気が利いた良い文章になっている。
 オープンソースを広めるのなら、こういうサイトで小奇麗にまとめて「ユーザーに使ってみたいと思ってもらう」のが大切だと思う。
間違っても高圧的な態度でクレーマーのようにしてはいけない。
忌み嫌われてしまっては元も子も無いのだから。

技能エリート

 高校野球の開会式を見て、入場してくる選手たちの立派さ具合にびっくりした。
立ち振る舞いやら表情やら、まさにエリートって感じだ。
なんか、伴宙太(ばん ちゅうた)と星飛雄馬(ほし ひゅうま)が泣きながら抱き合うイメージがあったんだけど、高校野球の彼らが泣きながら抱き合ったら西洋製のホモ臭い映画風というか、インモラルな雰囲気がしちゃってダメかもとか思う。

 調べてみたら、いわゆる「名門校」の野球部には200人近い部員がいるらしい。
うわ、野球って何人制のスポーツなんだっけ?
そりゃあ、まあ、こんなんじゃ高校野球の試合に出てくるレベルはエリートだわ。

 ということで、エリートの話。

 エリートと言うのは「選抜された人」みたいな意味で、まあ意味的には選抜されただけであって、選抜の仕方によっては能力が伴っているかどうかの保障はできかねる場合もあるかもしれないと思い始めている。

 ネットで文句をよく見かけるのが「○○大卒のクセに〜」的コメント。
「大学出=エリート=輝かしいキャリアパス=高い職業能力」のような単純明快なイメージから来るものだろうと思う。
これは理系・技能系の職業になればなるほど目立ってくる。
なぜだろうか。

 理由を自分なりに考えたり調べたりして思ったのは、大学の入り口から出口まで何処をとっても「技術畑が欲しいエリート」を生成するような仕組みにはなっていないのではないか、ということ。
というか、大学は研究者を育成する機関だったはずで、本来は職業教育をする場所ではないはずだ。
大学選択に「就職率」が関わってくるのはなんでだろう?
これじゃあ大学が職業教育をしているみたいじゃないか。

 少しずつ疑問の矛先を確かめつつ小学校から順繰りに「学習指導要綱」とやらを眺めて行くと、悲しいかな責任押し付けのたらい回し的構図がほのかに見えてくる(気がする)。
ついでに教育を受ける側が求めているものと与える側が与えているものの差とかも。

これは複層的で複雑な話だし、多分に色々な人のメンタルな所にもかかわる話で、個々様々で一概に言えない部分もあるし、どう書くべきか迷うところだけど、気が向いたら少しずつ出して行きたいと思っています。
ということでとりあえず

(続く)

 ちなみにエリートを生成と書いてますが、これはオブジェクト指向を強く意識していることを示すためにわざと書いたもの。
本心から人間を生成するとか思ってるわけではないです。あしからず。

2005年08月05日(Fri)▲ページの先頭へ
独考(2)

独考というのは、「こんなこと考えてんのは自分くらいのもんだろう」という自分だけの境地的なハナ天狗系の自負でつけた題名だったが、よくよく調べもせずに独考なんて言うのもなんだな、と思ってちょっとだけ調べてみた。
調べるといっても「オブジェクト指向 分類学」でググるだけ。
自分なりに象徴的と思われる単語を並べてみた。

jkondoの日記:オブジェクト指向は分類学
http://d.hatena.ne.jp/jkondo/20050530/1117436338

あー、居た。
ちょっと残念。

まあ、こう書かれると分かる人は分かるはずなので、今後これについては思ったことを包み隠さずに書くつもりです。

もう、独考のほうで挙げた『弁証法の論理 弁証法における体系構成法』のどこにオブジェクト指向的要素があるのかも説明してしまいましょう。
オブジェクト指向についての説明をどこまでしたらいいのか見当がつかないので、ある程度分かっているのを前提として書きます。

オブジェクト指向を「コンピューターを動かすためのプログラミングという技芸」という枠をとっぱらって一つの思考法(パラダイム)として考えたとき、『実体="オブジェクト"』と『オブジェクトの持ちうる特徴を定義するもの="クラス"』の二つが"キモ"になると思っています。
いや、いっその事「汎化こそオブジェクト指向」と言ってしまいましょう。

この『汎化』は、動物をイメージすると分かりやすいかもしれません。
「動物」というクラスと、「ネコ科」というサブクラスに、「ペルシャネコ」「アメリカンショートヘアー」etc..というサブクラスのサブクラス、そして、「隣の家で飼っているペルシャネコのハナコ(4才 メス)」という個体(実体・オブジェクト)。

これで『弁証法における体系構成法』になんでピンと来たのか分かってもらえたでしょうか?
もう少し説明を続けます。

で、今自分が考えているオブジェクト指向の問題というのが、汎化というプロセスについての深い追求の放棄です。
この汎化という手順は重要であるとされながらも、(今まで見てきた限りでは)伝統的な取り決めやプログラマの感性に完全に委ねられています。
これはちょっと問題でしょう。
もう少し議論があってもいいはずです。
というより、今までの議論が表に出てきてもいいはずです。(議論もなされずにSEだかプログラマだかの独断で決まってしまっていたのだとしたら、言語道断問題外の由々しき事態ですが。)
で、ここにメスを入れるヤツはおらんのか?ということを延々と独考していたわけです。

まあ、メスが入らない理由というのも大体見当がついていまして、この部分は深く探れば探るほど哲学的探求になっていってしまうのです。これは怖い(面白い)。
「ネコがネコ科に分類されることの必要性」みたいな事をもっとディープに考えなければならない、と言えば怖さ(面白さ)が少しは伝わるかもしれません。

むろん、これらは哲学者的にも美味しい話題で、色々な偉人が語っているところなのです。
数学界ではラッセルらの数学の体系化があったりしますし、古くはアリストテレスが原理(アルケー)について語ったりしています。
で、そこら辺のことがうまいこと纏まってたのが『弁証法の論理 弁証法における体系構成法』という本だった、というわけです。

(独考もキャラクターショウビズとともに続き物にします。牛歩の1/10^10くらいの速度の更新になるとは思いますが。)

2005年07月31日(Sun)▲ページの先頭へ
独考

家の本棚には大量の本が並んでいる。
100や200じゃきかないくらいの分量で、多分、人が住むスペースよりも本が占めるスペースの方が多い。
なにかしら考え事に詰まったらここにある本からテキトウに選び出して読んでみるのが習慣になっていて、これが意外と当意即妙なチョイスだったりすることも少なくない。

今はプログラム言語の根底にある思想について調べている、が、なかなかどうして確たる証拠になるような文献に出会えない。
古今のリファレンスマニュアルを探してみたり、プログラミングの古典的名著と呼ばれるものを漁ったりしてみたが、なかなかコレという著述が無い。
言語といえどもコンピューターを使う道具の一種なわけで、道具の説明書きに「道具を作った背景」やら「理屈」やらは必要ないのが普通なわけで、哲学関連のものとは毛色が違うのだ。
ここでやっと自分なりに思想と言語との間を埋めて行かなきゃいけない事に気がついた。
要するに、哲学者よろしく古今東西の思想を洗いなおしていく途方も無い作業が待ち受けているわけで、想像できないほど面倒くさい。
あまりの面倒くささにモチベーションは当然落ちた。

こういうときは、とりあえず1日は何も考えないようにして、気が落ち着いてきた頃にとりあえず本棚を探る。
(『とりあえず』って割り込みみたいで素敵だ)

で、見つかったのが廣松渉と言う人の『弁証法の論理 弁証法における体系構成法』という本。
「弁証法における体系構成法」という副題に、もしかしたらオブジェクト指向に関係するかもしれない、とピンときて、軽く胸がときめいた。

前書きを読むと、『伝統的な実態主義的存在感と即応する「実態-属性」の構制』だの、『「函数-変項」の構制を関係主義的な存在感に照応するかたちで導入』だの、あげくに(これはオブジェクト指向にはあまり関係ないけれど)『記号論理"術"』とまで書く始末。
目次には『所謂「分類」および「抽象」の実相』なんてのまである。
凄い!廣松渉はかなり熱いぞ!

2005年07月22日(Fri)▲ページの先頭へ
調弦

とうとう中国元にメスが入った。
100円ショップはどうなるという下世話で深い話題から、中国口座で一儲けを企むようなバブル気分が懐かしい話題まで、考えることはいくらでもある。

日本の製造業者にとってはチャンスになるかもしれない。
でも、日本がチャンスを生かせるような人材を育成してきたとはとても思えない。
人材が足りないからといって人材に代わるほどのロボットを作ってきたわけでもないしね。
だから、もしかしたら、中国の代わりになる国を探すだけかもしれない。
もしそうなら、ライブエイドとかバンド8とか言ってないで、早くアフリカを使ってやって欲しいと思う。
あと、サマワも。
(金を送るのは悪いことではない。でも、内地に立派な企業を作るほうがよっぽど良い。どれだけ難しかったとしても。ついでに言えば、アフリカは産油国で、その油を中国が狙っているらしい。)

話を戻そう。

国家レベルで製造業で労働すること自体禁忌にしたがってる傾向が少なからずあるんじゃないかとほのかに思う。
もしこれが勘違いじゃなかったとして、原因の一端が集団就職にあるんだとしたら、とか思ってみると、なんというか、言いようの無い気分になる。

ついでに言えば、プロレタリアートの悲哀を書き綴った文学も暗澹たるイメージの構築に貢献しているんだろうと思う。
小さい頃に見た蟹工船の表紙の恐ろしかったことといったら。
車輪の下では労働者になりきれなかった人間が銀河鉄道の夜に川を流れていく始末だ。

『そうだよ。今度こそ、このまま仕事していたんじゃ、俺達本当に殺されるよ。犠牲者を出さないように全部で、一緒にサボルことだ。この前と同じ手で。吃りが云ったでないか、何より力を合わせることだって。それに力を合わせたらどんなことが出来たか、ということも分っている筈だ』:蟹工船

あー、「エンジョイワーキンエフォートウィン」とか歌ってやろうか。
新世代の労働歌だ。

くらべてプログラマーなんて、字面から言って雰囲気が違う。
優れた文学者が生まれてないあたり、死ぬまで暇が無いのか、それほど厳しくないのかのどちらかに違いない。
(あ、オープン思想があったっけ)

もう、本当に、言いたいことは腐るほどあるけど、言いたいことが腐る前に書いていくのは大変な作業だ、なんてことを深く実感する今日このごろです。
皆様いかがお過ごしですか?

2005年07月11日(Mon)▲ページの先頭へ
ほっとけないキャラクター法人

キャラクターを作り、それに関する著作権収入を法人のもとで寄付に回す、という事もできるかもしれない。
「モリゾー・キッコロ著作権管理協会」とか作っちゃってモリゾーとキッコロの商標権や著作権を管理して、利用のガイドラインと料金を設定しつつ、収入を緑化計画への寄付にあてる、とか。
これなら関係者がその気になればNPO法人で何とか作れなくも無いような気がする。

アフェリエイト

アフェリエイトという面白い仕組みがある。
なら、もう少し面白くなるんじゃないの?という提案。

1)寄付
寄付先の選択肢はできる限り多くする。
団体を知るきっかけにもなるし、個人として気楽に寄付をすることができるはず。
煩雑な手続きはアフェリエイト広告主が責任を持って取りまとめる。
ついでに団体からのありがとうメッセージとかが送られてきたりするとやる気もでて良い感じかもしれない。
メッセージなど、寄付した人と団体との架け橋はやっぱり広告主が受け持つべき。

2)アフェリエイト収入分を売値から割引
これができれば、アフェリエイト商店的なサイトも出来得る。
他サイトとの差別化、「良い作品だからもっと沢山の人に見てもらいたい」という人など、ニーズは多そうな気がする。

3)広告する商品の作者へ収入を寄付
1の寄付先に入れたら面白いかもしれない。
現状の著作権ビジネスに疑問を持つ人へ、とか。
猛烈なファンにもいいかも。

・これらをAmazonなどのアフェリエイト広告大手がオプションとしてあらかじめ用意し、さらに、各オプションに対して自分のアフェリエイト収入の何%を回すかを設定できるようにする。

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